面清会講師・すみへいカルチャー講師

能と能面について  長野県能楽連盟総会(平成20年5月31日)における講演より


■能面の種類はどのくらい?
 能面と思しきものは250種類ぐらいあると言われているが、基本的な類型の60〜70種類の能面があれば、すべての曲が演じられるという。
■能面の分け方は?
 能の五分類(五番建)と同じく、神・男・女・狂・鬼に分類される。大別すると男面・女面の二つ。
 その中で翁面だけは別格。「翁」は能にして能にあらずと言われ、神聖視される能。翁面は正式には白色尉。類面に黒色尉・父尉・延命冠者がある。翁面の特徴は切り顎といって上顎と下顎が切り離されて口の両端で紐によって結んであること。

■主な男面
 ◇貴公子を表現した・・・今若、中将  ◇若い武将である・・・平太    ◇少年面の・・・童子、慈童
 ◇半僧半俗の少年である・・・喝食   ◇盲目をあらわした・・・弱法師  ◇男の亡霊に使われる・・・痩男
 ◇武将の亡霊である・・・怪士     ◇頼政の専用面である・・・頼政  ◇景清の専用面である・・・景清
 ◇尉面(老人面)として 
  神の化身として使われる・・・小牛尉  一般の老人をあらわす・・・阿古父尉  庶民的な・・・笑尉
 そのほかにも朝倉尉・三光尉と呼ばれるもの、同じ尉面の中で強く恐ろしげで超人的な老人を意味するものに鼻瘤悪尉・重荷悪尉などの数種類の面がある。
 ◇神仏あるいは鬼畜を表現したものには
      仏をあらわしている・・・釈迦、不動  菅原道真のような人神に使われる・・・天神
  天狗の面として使われる、口を「への字」におしつむぐ・・・べしみ面(大べしみ・小べしみ)
  神威を表現している・・・飛出面(大飛出・小飛出)
  石橋の曲で獅子に用いられる・・・獅子口 など

■主な女面
 俗に無表情で美しい女性の顔を「能面のような顔」という。男性に対しては使われない表現で女性のみを対象としたもので、能面といえば女面に象徴されるという言葉である。
 ◇可憐で若い女の有名な面(16歳前後)・・・小面(雪・花・月)
 ◇小面よりやや年長の端麗な面(19〜20歳)・・・若女
 ◇孫次郎という人が若くして亡くなった奥さんの面影を偲んで打ったというヲモカゲの別名を持つ・・・孫次郎
 ◇30歳前後の端正な顔立ちから品位のある女神などに用いられる・・・増女
 ◇人妻で生活体験の豊富な40歳前後の女性をあらわす・・・深井
 ◇老いた女性をあらわす・・・姥
 ◇狂乱した女をあらわす・・・増髪
 ◇白眼に金泥を施し嫉妬の生霊をあらわす・・・泥眼
 ◇死霊の面で・・・霊女(同類に檜垣・痩女)
 ◇鬼の面ともいうべき怨霊の面・・・般若(同類に橋姫・蛇)
 ◇山姥の専用面・・・山姥  など。
 「小面の裏に般若あり」などといわれる。「ふっくらとした小面型の美人」「痩せすぎの般若型の美人」という言い方もある。
 女面は小面のように中間表情のもの、般若のように瞬間の激情を表現したものに分けられる。

 以上、主な面の機能の説明をしてみたが、どれが何という面であるかは、能舞台を見たり能面展を観て目を養っていくのも楽しいと思う。
 眼球に関して付け加えれば、眼の全体をくり貫いているのは翁・姥・弱法師・景清など。そのほかは眼球部分のみを開けている。
 眼の穴にまつわる話として、能楽師が能面をつけると2つの眼の穴が重なって小さく1つに見える穴が頼りで、そこから見える範囲は小さく限定され上下左右も見えないし、足元など見えるはずがなく、道路を歩く時のように足裏を上げて歩く事などとてもできないので「摺り足」こそ能面から生まれた産物であるという説もあるようだ。なるほどと思えないでもない。

■面の表情(表現)
 能面、特に女面は無表情であるといわれる。美しい女性の顔を「能面のようだ」と例えて言うが、決してそのようなものではなく、それぞれの所作からはそれなりの表情があらわれるという特質を備えている。
 ◇通常・・・顎を引いた要領(少しクモリ加減)で面をつける。
 ◇照ラス・・・上向きにして喜びの感情表現を印象づける。
 ◇曇ル(曇ラス)・・・悲しみ、泣くの表現で心中深く決意する場面に用いられる。
 ◇シオル・・・手を静かに上げて涙を抑える仕草で曇ルと併用される。
 ◇面ヲ使ウ・・・左右を静かに見回す仕草で、風の訪れを聴く、虫の音を聞くといった表現にもなる。
 ◇面ヲ切ル・・・面を一点から一点へ鋭角的に動かし、相手を見据えたり怒りを表現する。逆方向からしゃくりあげるように
         して切ることもある。
 能面展などで面を見る時には、このようなことを念頭においてなるべく離れた位置から体を伸縮させて視線の仰角を変えたり、同時に首を左右に傾けるなどしていろいろな見方をされれば面の鑑賞に新しい発見が生まれるだろう。
 面に近づいて見たのでは、その面の持つ本来の姿が伝わらずじまいになってしまうことがお分かりいただけると思う。
 女性の顔を上下左右から見つめる訳にはいかないが、それとなく遠く盗み見してみれば今までにない表情を発見できると思う。

■能と能面
 能面は、世阿弥が能を大成するよりもはるか以前にきわめて高い水準で完成されていたと言われている。つまり、能面は世阿弥の指示や要請によって作られたものではないということになる。
「神作」「十作」「六作」は世阿弥が登場以前の能面作家群
 ◇神作/ 聖徳太子、淡海公(藤原鎌足)、弘法大師、春日・・・伝来不明の古来の面を重するあまりに名前貸しをしたと言われ
     る。
 ◇十作/ 日光、弥勒、夜叉、福原文蔵、石川龍右衛門、赤鶴吉成、日氷宗忠、越智吉舟、小牛清光、徳若忠政・・・鎌倉時代〜
     室町時代の作家群。赤鶴は鬼畜面を打ってはこの人の右に出る人はいないとの評価がある。赤鶴と並んでの面打ちの
     名手は龍右衛門といわれ、彼の打った雪・月・花の小面は豊臣秀吉が愛蔵して有名作といわれた。
 ◇六作/ 増阿弥久次、福来石王兵衛、千種、宝来、春若、三光坊・・・室町時代の作家群。
 わたしの住む信州では古来能が盛んであったという話は耳にしないが、上田藩には能面が残っており、最後の藩主忠札より浜村家が拝領したという能面・狂言面70面が現存し、近年の上田城薪能に合わせて展示されたことからすると、いにしえ、城内で能舞台が催されたであろうことも推測される。また、長野県では北信地域で昔から謡曲が盛んな事から見ると、松代藩でも能が舞われたであろう。とすれば、そこで使われた能面は何処に行ってしまったのか?と興味がある。発見されずにどこかの昔富豪であった家の蔵の中で「お蔵入り」になったままという事も考えられる。そうであって欲しいものだ。

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